生活福祉文化研究所

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    STUDY

    日本(朝倉市秋月)とイタリア(マルケ州メルカテッロ)の小さな小学校の文化交流

    ― その1

     2023年9月29日から10月7日まで、JUDI関西の3名の方々が都市計画・景観や地域社会のあり方などの視点からメルカテッロの現地視察・ヒヤリングによる調査研究を行う旅行に同行させていただいた。メルカテッロには、私が社会人として初めて勤めた(株)環境開発研究所時代の上司であった井口勝文氏が自宅を持ち、日本と半々の生活をされている。その縁があって、私自身もJUDIの方々と同様の研究姿勢を持ちつつ、一方で地元福岡県の秋月小学校とメルカテッロ小学校の6年生同士のオンライン交流を企画し、第1回目を9月6日に実施した。その文化交流に関する報告を行う。

    1 小学校文化交流の背景と目的

     井口氏は自分の郷里である朝倉市とメルカテッロとの都市間交流を構想しておられた。私が朝倉市の職員に企画を持ちかけたところ「いきなり行政ではできないので民間で初めて下さい」との返答であった。そこで、民間で2つの町が交流するために、先ず子どもたちがつながれば親が結びついて、それがまた町全体の相互交流につながるだろうと思い、実施に至る企画を目論んだ。子どもたちが主役であれば将来にわたって交流を持続することもk可能であるとも考えた。
     秋月小学校は、朝倉市の小規模な(2023年度の全校児童数87人)小学校であるが、校長先生にイタリアとの交流事業への参加を呼びかけたところ、直ぐに賛同してくださり、話は順調に進んで行った。そして、本事業の目的を「小学校6年生同士がオンラインの対面交流を通して、お互いの文化を理解し、子どもたちの国際的視野を広げるとともに、自分の育った町への愛着を育てて、町の住民全体への波及効果を図る」とした。
     秋月小学校では、校長、6年生の担任、PTA会長が推進役となり、メルカテッロでは、姉妹校のサンタンジェロ小学校と兼任で芸術科目を担当する先生が中心となり準備や実施を担った。実際にオンライン交流の時には、イタリアの2校が参加して3校で交流した。

    2 メルカテッロと秋月の概要と共通点

     メルカテッロに関しては、井口氏の著書(『イタリアの小さな町 暮らしと風景』2021)に詳しいが、メルカテッロとは「小さな市場」という意味で、この町の正式名はメルカテッロ・スル・メタロウ「メタロウ川沿いのメルカテッロ」である。人口は約1,400人、フィレンツェから東に約100キロの田園の中にある風景の美しい町である。
     秋月は、人口約440人(2020年)で「筑前の小京都」と呼ばれている。城下町として賑わった歴史があり、江戸時代の面影を多く残す街並みや、清らかな川と美しい自然風景がある。そして重要伝統的建築物保存地区・歴史的景観形成地区で、町ごとそういう景観形成地区で指定されている。2023年は秋月藩が成立して400年で、かなりの記念事業が行われた。
     この秋月とメルカテッロには石のアーチ橋;すなわちメルカテッロのローマ橋、秋月の眼鏡橋があり街のシンボルとなっていることが共通しているというのが最初の着眼点であった。しかし交流を進めるうちに他にも多くの共通点を見出すことができた。

        メルカテッロ  ローマ橋
         秋月  眼鏡橋

     両方とも河川流域との繋がりが深く自然風景が美しい。また、先述したように秋月は地区指定により景観保存されており、イタリアの街が建物や外観を常に保存することにも共通している。また、職人の町であること、メルカテッロの食品加工や製造業のいわゆる家内工業的なもの、秋月でいえば、紙すきや染色だとか葛など、そういう家内産業が伝統的に引き継がれている。それから食文化、スローフードというか、農業では有機野菜の栽培、畜産ではメルカテッロのマルキジャーノ牛肉、秋月の古処鶏という鶏肉が有名な観光資源になっている。そして何より共通するのが、このような小規模な町の人々の暮らしが豊かであるということを実感できる町だということである。

    3 各小学校の概観と文化交流のコンセプト

     メルカテッロ小学校は住宅街にあって、多くのイタリアの小学校のようにプールや体育施設がない。朝の風景が写っているが、イタリアの場合、親が子どもを小学校に送ってくる家庭も多く、親子の結びつきが強いということである。秋月小学校は、小高い丘の上にあってのどかな風景に溶け込んでいる。

      住宅街の中にあるメルカテッロ小学校
       朝の始業前  玄関ホールの風景
         秋月小学校の正門周辺
      丘陵地の上にある秋月小学校の校舎と運動場

     両校の学校規模はほぼ同じで、学年に1クラス、6年生(イタリアは中学1年生)は20人。時差の関係でイタリアが朝8時半、そのとき秋月小学校は午後3時半で、ちょうど授業が終わった放課後授業としてのオンライン交流を実施した。
     今回のコンセプトは、2つの町に共通する「橋」から導かれ、メルカテッロの担当教員が「私達の架け橋」というタイトルの詩を作ってくれた。「橋が架けられているところにはアイディアが生まれ、橋は二つの違ったものを一つに結びつける。そういうことで、イタリアと日本が芸術や食などの文化交流により子どもを中心に結ばれていきましょう」という内容であり、「橋で繋がる」ことをコンセプトに交流事業をしようという趣旨である。 実際の文化交流としては、芸術作品を通して繋がろうということになった。前述したように、メルカテッロの先生が芸術を教えており、日本の書道やいろいろな文化を愛している。それで秋月小学校に頼んで、事前に秋月の紙すきの和紙に子どもたちが書道で書いた漢字カード、秋月の風景を水彩画で描いた絵、大判紙に取った一人ひとりの手形だとかを準備していただき、私がメルカテッロに持参した。これらを中心に文化交流をスタートしようということになった。前もって、担当の先生のご自宅で井口さんと一緒に打ち合わせをした。そして、小学校の事前授業で、子どもたちに秋月小の作品を紹介しておき、今度オンラインで繋がって交流するという説明をしていた。

           秋月小学校の作品
       メルカテッロの事前授業での説明

    4 第1回交流会(2023年9月6日)

     井口さんやJUDIの3人のメンバーも一緒に、私達はメルカテッロ小学校にいた。オンライン交流ができるように繋がるまでも大変で、様々なドタバタ場面を経て、最初にノルマ先生のプレゼンテーションから始まった。秋月小学校の子どもたちは、秋月の町を英語で紹介するという事前学習を通してカメラの前で実演していた。

        メルカテッロの教室
       文化交流の趣旨説明
      スクリーンに映る秋月小学校の子ども
    先生とサンタンジェロ(右上)メルカテッロ(左下)秋月小の教室

     両校とも初めての経験で慣れてないため、パソコンの操作が分からない場合もあって先生たちの顔が大きく映ったりしている。いろいろな不備もあったが、子供たちは本当に熱心に、関心深くスクリーンを通して交流し、1回目がうまく運んだというところである。
     趣旨説明のスライドは翻訳ソフトを使って日本語表示をしてくださっていたが、イタリア語と日本語のオンライン交流であるため、井口さんの通訳がなければ難しい面もあることが課題であった。
     次年度は、共通語である英語で子どもたちが直接交流ができるようにするように努めることを互いに承認した。

    日本(朝倉市秋月)とイタリア(マルケ州メルカテッロ)の小さな小学校の文化交流

    ― その2

    1 第2回交流会(2023年10月24日)

     第2回目は、私が秋月小学校に行き、教室内で子ども達と一緒に参加した。この日は父兄の参加や新聞の取材があった。

         校長先生によるリハーサル
    皆でスクリーンに映るイタリアの発表を熱心に見る

     左の写真は、校長先生がイタリアからのお土産(メルカテッロとサンタンジェロのガイドブック、美術館の作品集や手作りの陶版など)を手に「皆でサンキューと言いましょう」と開始前に子どもたちに教えているところである。

     本番では、校長先生と代表の子ども達のお礼メッセージの後に、メルカテッロ小学校の子どもたちがリコーダーと打楽器の演奏をした。またローマ橋や自然の風景を描いた水彩画も紹介した。そして、子ども達の質問時間となり、日本の小学校の授業時間や下校時間、好きな科目、漫画など、イタリアからの質問には秋月小学校の子どもが一人ずつカメラの前に立ち、英語で元気に答えていた。日本の漫画に関してはイタリアの子どもも同じくらいよく知っていて、漫画は最も身近に共有できる文化であるということが今回の交流を通して認識できた。

     パソコンのカメラの前でプレゼンテーション
     地元の書道家がその場で描いた作品を紹介

     右の写真は、小学校の通信設備環境があまり良くないために、この町に住んでいるPTAの方が仕事を休んで自分の器材を使ってセットしてくださり、プレゼンテーションを手伝っているところである。そして、近くに住み、小学校にも教えにきている水墨画の先生が自身の作品を紹介している。先生は、交流中に短時間で眼鏡橋とその周りの風景を描き上げ、作画の様子を映像で流したので、イタリア人にとっては水墨画という日本文化への理解が深まったであろう。地域住民の方々が善意や愛情を持って小学校教育に関わっていることが伝わってくる。

    2 文化交流事業の振り返り

     今年度の交流について振り返り、今後の改善点を見出すために、小学校に出向いて2回の実施に関する所感を校長や担任の先生に聞いてみた。日本の小学校は諸行事の実施も文科省の規定に則るので、プレゼンの練習も教科科目と結びつけて準備したということであった。6年生の外国語活動の授業で、英語で自己紹介と秋月の町を紹介するという単元を行い、図画工作の授業で水墨画を描いて文化交流と関連づけた。これらを本番で実施し、その成果があったことが良かったという感想であった。そしてオンラインのZoomで子ども同士が直接やり取りできたことが、子どもだけでなく教員にも満足度が高かった。
     この3つの小学校とも、1回目よりも2回目の方が交流内容に工夫があって、イタリアの小学校も3つの学校とも音楽演奏したり、質問したいことを用意しておく場面があった。全ての子どもたちの乗りが非常に良かったという印象がある。

    3 文化交流事業の継続に向けて

     今年度は小学校の通信環境に関する不安があったが、ぜひ続けて実施したい意向である。先生が朝倉市の教育委員会に行って、次年度に向けてZoom環境設定をしてもらったとのことである。そして毎年6年生が交流するようにしたいということで、次年度6年生(現5年生)が1月にイタリア大使館との交流を通して、イタリアの学校について事前学習をした。6月の実施に向けて着々と準備を進めている。今後の課題としてはもっと保護者への周知に努めて、町の人にも広めていきたいということであった。

     この2回目の交流が西日本新聞の記事に取り上げられた。秋月小学校とイタリアの小学校がこんなふうに交流していると紹介し、記事にも「朝倉市出身者らが橋渡し」と井口さんのことがメルカテッロの著書の紹介と共に書かれ、取り組みの背景にも触れている。

     2回目の交流が非常に積極的にできたし、子どもの成長が見られたので、3つの小学校とも今後も実施したいと、継続を望んでいる。  朝倉市の教育政策の方でも、国際理解教育を通して文化を振り返り、その良さに気づかせる学習活動の推進が教育方針としてあるので、それを秋月小学校がリードしてやっていることになり、期待されている。

     この地方新聞にイタリアとの交流が掲載されたことで、朝倉市長も記事を読まれていて、秋月小学校の教育に一目置いているということである。先日、他の用件でお会いした時に、市長が井口さんの著書を片手にわざわざその話をしてくださった。

     2024年は、6月4日と9月に実施することに決まった。メルカテッロの方でも、既にその準備を進めていて、橋をテーマにした演劇を制作したので、それが次年度のプレゼンテーションの中に入るということである。

    4 小学校交流を通して感じたイタリア文化の諸相

     先ず、小学校教育のあり方が違う。それは当たり前のことであるが、授業時間に関しては、イタリアの小学校は大体午後1時ぐらいに授業が終わって下校し、家に帰って昼ご飯を食べる。都市によっては、午後の授業が選択制であったりする。               したがって、午後にメルカテッロの町を歩いていると、小学校で私を見た小学生が「アリガト」と日本語で声をかけてくれた。午後は何をしているかというと、家で本を読んだり、サッカーなどの運動をしたりする。小学校のグラウンドが狭いので、午後は大体サッカーとかそういう自由なことをやっているようである。

     イタリアの教育は自由を尊重して個性を伸ばすと言われている。例えば、藤井聡太がモンテッソーリ教育の幼稚園に行ったから、ああいう人間に育ったのだとか言われ、日本でモンテッソーリ教育が注目されたが、一人ひとりの能力や育つ力を認め個性を伸ばす教育がある。私たちが会った大人たちが自己主張をきちんと行うのも、こういう小学校時の教育にも関係するのではないかと考える。
     教室の子どもたちは容姿から察しても多民族で、多様性という意味では、障害のある子もない子も同じ教室にいる。そして1年生から5年生まで、1学年1クラスで担任の教師も5年間持ち上がりである。言い換えればクラスメイトと先生が5年間一緒に過ごすことになり、限られたコミュニティの中での付き合い方も身につくであろう。大人たちも含めて地域の非常に狭いコミュニティの中で人間関係をうまくやっているのも、小学校の頃から何か素養が培われているのではないかはないかという気がした。

     そして、この文化交流のお膳立てをした私は、イタリア人のコトの運び方が日本とは違うので、途中で個人的にイラだったこともあった。しかし『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋勲著2018)という本を読んで少々納得した。この本に書いてあるイタリア人との付き合い方のポイントは、予定や打ち合わせ通り物事が運ばないと考える、不測の事態に苛立たない、トラブルがあっても諦めずにやると最後に何とかなる、ということである。自分の経験と照らし合わせ、イタリア人の慣習を理解する糸口になった。

    5 今後の課題

     次年度も継続して実施するに当たり備えておくことは、両校ともオンラインの通信環境を改善しているので、実施場面でその操作をうまくやることと、イタリアでは、どうしても井口さんが通訳をするという役割があったので、お互いが英語で、子ども同士だけで相互交流できるようにすることである。

     そして双方の国において、子どもたちの交流を家族や住民や町全体に広げていきたいという希望をもっており、私自身も今後もずっと続けていきたい。小さな活動ではあるが、色々な角度から考察し深めていけば、多くの知見が得られると考える。

    2023年最終講義資料の掲載にあたって

    これは、久留米大学を退職するに際に行った最終講義の内容です。

    最終講義は、一般的には大学教員の研究・教育の集大成として、教員としての最後の授業で行う場合が多いですが、私は様々な立場で研究・実践活動を行なってきた経歴のため、それらを振り返って報告するものです。

    タイトルの『人間と環境の関係性を巡って』は、大学の卒業論文、修士論文、民間企業に勤務後、地域活動をしながら書いた博士論文、その後の大学教員としての研究論文等、長い経過の中で、人間(人/コミュニティ)と環境(建築/都市)の相互作用、言い換えれば、あるテーマに関するハードとソフトの関係性を追究することが、それらの研究の底辺にあったために称した題目です。

    学生時代は、住宅地の共有空間の物理的形態と近隣づきあいなど社会的側面との関係性について、調査を基に研究しました。その後、親の認知症をきっかけに(認知症)高齢者の施設環境に関する研究と施設設計監修を行い、これも施設のハードの環境が認知症の人の精神面や生活にどのように影響するかを追究したものです。

     その後、「高齢者が最期まで地域に住み続ける」ための地域ケアの形成について、実践活動をしながら博士論文を書き、社会福祉学科の教員になりました。大学教員としても大学と地域の連携をテーマに学生とともにフィールドワークを行い、環境と福祉の融合などに関する研究を行いました。

     総合子ども学科教員としては、子どもの遊び環境や園舎/園庭環境のあり方と子どもの発達への影響に関する事例調査研究を行うとともに、全国的に普及しつつあった子育て世代包括支援センターに関して、この原型であるフィンランドのネウボラの視察を基に考察しました。一方で学科としての共同研究で、医療的ケア児の保育所における保育・ケアや関連施策/社会的環境の現況調査を通して課題を整理しました。

     また、2019年に建築学会の部会で「福祉起点型共生コミュニティ拠点形成」の研究のためイタリアの「地区の家」等の調査に行き、地域で多様な人々が共生するには「居場所」が必要であるという認識を得ました。

    この知見を基に、現在の地域連携センター「つながるめ」を開設することを提案し、大学内の「地域の居場所」が整備されました。そして、このハードの環境をソフトのプロジェクト企画や運営に活かしていくためのアドバイスを行う役を担い、今日に至っています。

    著書

    『老人性痴呆症のための環境デザイン
    ―症状緩和と介護をたすける生活空間づくりの指針と手法』

    Uriel Cohen& Gerald D.Weisman著 岡田威海監訳、浜崎裕子訳
    彰国社 1995年

    解説

     1991年にアメリカで出版された“Holding on to HOME ; Designing Environments for People with Dementia”の翻訳本。内容は、「当時の医学では決定的な治療法がないと言われたアルツハイマー病やその他の認知症の高齢者に対し、建築環境的な介入によってその症状を緩和することができる、言いかえれば環境デザインがそれらの人々に対して治療効果を持つことができる」というものである。そして、そのために必要とされる物理的な面での家庭的環境づくりのデザイン手法について、社会的関連や運営的視点を含めた広い視野のなかで考察したものである。
     当時、日本では身体の障害に対応するバルアフリー・デザインの研究や普及は進みつつあったが、精神の障害である認知症に関する物理的環境からのアプローチは未開であった。その意味で新規性のある内容の本として注目された。

    1 原本の主旨と日本の認知症高齢者介護の流れとの関連性

     “Holding on to HOME”の“HOME”には2つの意味があり、それを増加する認知症高齢者に対応するために整備された国の制度や施設計画方針の変革の流れと関連させて考察すると模式図にしたがって以下のように解説できる。

     “HOME”の一つの意味は、認知症の人は環境変化に弱いので、できるだけ在宅生活を続けた方がよいということである。そのためには、介護を家族だけで担うのではなく、社会全体で支えていこうという国の政策により介護保険制度が制定された。そして現場では、専門職とボランティアのネットワークが必要とされる。施設整備においては、施設入居者のためだけでなく地域の住民にも施設を開放すること、また小規模多機能型居宅介護やグループホームのような地域密着型サービスを提供することが望ましい。そこでは、認知症の人が隔離されることなく周りの人あるいは地域社会とつながりをもつ生活をするように家族やケアスタッフが心がけ、質の良いケアを提供すべきである。
     “HOME”のもう一つの意味は、一人暮らし高齢者など、どうしても在宅生活が難しい場合に施設入居になるが、その施設は病院のような環境ではなく家庭的な環境にすることが望ましい。具体的には、プライバシーが守られる個室があり、多様なニーズに応じる空間から構成され、少人数の暮らしになるようにユニット化により生活単位を確立する。端的に言えば、施設を医療モデルから生活モデルへ切り替えることである。
     このように2つの意味から導かれた「人的環境」のケアと「居住環境」の建築空間が、車の両輪のように作用することが、認知症高齢者の自立を支援することになる。

    2 物理的環境の影響/効果と認知症高齢者の生活の質

     認知症には中核症状(記憶障害・見当識障害・思考障害)があることは周知のことである。また認知症の人が周りの人にとって厄介な存在と見られがちなのは、その行動・心理症状(BPSD; Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)によるものである。誰にも持って生まれた個性があり、認知症の人には中核症状とその周りの環境フィルターがある。この環境フィルターの質が良くないと、望ましくない作用をして、それが不安・ストレスになり、BPSDとなって現れる。逆に環境フィルターの質が良いと、認知症の人は安心・リラックスして「その人らしい」、愛される高齢者になる。

     それではこの環境フイルターの質を良くするためにできることは何かを考えた時、その中に含まれる「人間関係・生活暦・心理・身体状況・環境」のなかで、外部の他者により最もコントロールしやすいのは「環境」である。 つまり、環境(建築空間や身の回りのモノ)は本人のまわりで創り出すことができ、その介入を通して、認知症高齢者の生活の質の向上を導くことができると言える。

    3 認知症高齢者の各特性に対応する環境づくりの指針

     認知症高齢者は一人ひとりの症状を持つが、上の図は、共通する各特性に対して、それぞれに環境面で対応するための指針を示したものである。現実の諸条件やニーズに従って応用するための参考になる。


    Elizabeth Brawley著 浜崎裕子訳
    『痴呆性高齢者のためのインテリアデザイン―自立を支援するケア環境づくりの指針』彰国社 2002年

    解説

     1997年にアメリカで出版された“Designing for Alzheimer’s Disease ; Strategies for creating better care environments”の翻訳本。著者は、インテリアデザイナーとしての知識を生かした実用的な洞察力と、自身がアルツハイマー病の母親を介護した経験から滲み出る細やかで留まるところを知らない探究心と他者への優しさを融合させて、この本を著している。
     内容は、視覚障害に対応する照明や色彩計画、聴覚障害に対応する音環境など五感に関わる環境デザインについて、医学的基礎知識も引用した上で具体的に述べている。また、家庭的な環境づくりや効果的なインテリアエレメントについて写真による事例を用いて解説している。本著は、それらの各項目にデザインチェックリストを設けているため実用的であるとともに、最終章には、デザインプロセスには多分野の専門家の協働とチームワークが大切であることを述べ、デザイナーや施設設計者の仕事への姿勢にも言及している。


    『コミュニティケアの開拓―
    宅老所よりあいとNPO笑顔の実践に学ぶ』

    浜崎裕子著 雲母書房 2008年

    解説

     本著は、学位論文『住民参画による高齢者生活福祉の「場所」づくりのプロセスデザインに関する研究』(2002)を執筆して得た知見を、より多くの住民/まちづくりに関わる人々や福祉関係者にも伝えたいという思いから出版したものである。
     福岡市南区の長住団地に1965年に住み始めた住民が、当初から継続的に展開してきた地域活動を、社会福祉学および建築計画学の観点から多角的に論究したものである。筆者が地域住民とともに実践してきた「宅老所よりあいとともに新しい老人ホームをつくる会」および「NPO笑顔」の活動を、インサイダーの視点で考察しているところに特徴がある。

    1 長住地域のコミュニティ活動の歴史

      地域住民は、自分たちのライフステージに応じて、子育て期には「子ども劇場」活動を、親の介護の時期には「楽しい老後を考える懇談会」を、そして自身が高齢期を迎える時には、福岡市が団地に隣接する敷地で公募した特別養護老人ホーム運営の公募に応募するために「宅老所よりあいとともに新しい老人ホームをつくる会」を立ち上げて、「住み慣れた地域に住み続けるために」住民主体で活動を展開した。
     筆者は建築士の仲間とともに「老人ホームをつくる会」の草の根市民活動をリードして、2年間にわたるワークショップ等を行い、活動の理念や介護方針に関する合意形成を行なって、それを建物の物理的環境に反映した。
     公募に落選後、活動理念を実現するために立ち上げたNPO笑顔の多様な実践活動は、コミュニティケアの新たな道を拓くもので、それまでの日本の介護概念や慣行に捉われない画期的な要素を多く生み出した。

    2 タイトル『コミュニティケアの開拓』の「開拓」の意味

     宅老所よりあいとNPO笑顔の活動は、それまでに無かった多様なモノ・コトを新たに創りだした。

    1)長住団地は、福岡市で最初の新興住宅地(旧日本住宅公団)
    2)子ども劇場活動発祥の地―劇場活動の経験知が「つくる会」の基盤形成になる
    3)第2宅老所よりあいの開設―認知症専門介護施設を地域資源として開発
    4)「つくる会」は、地域住民・ケアスタッフ・建築士の協働により推進
    5)NPO笑顔の設立―地域住民が立上げ、介護保険外のサービスを供給
    6)ふれあい会の設立―地域(生活圏内)の複数の福祉サービス事業所が連携し、情報共有して相互にサービスを補完・提供

    3 実践活動期間(1995年〜2014年)に得られた知見

     2000年に介護保険制度が制定され、日本の介護環境は大きく変わったが、その社会の動きを受けながら、地域住民はぶれることなく自分たちの思いをカタチにした。伴走者としての筆者は多角的な視点から考察し知見を導いたが、特に介護現場に必要とされながらも一般には具現化できていない事柄のいくつかを提示する。

    1)全国で初めて宅老所を開設した「よりあい」が始めた「通って、泊まって、住んで」というサービス形態(後に、小規模多機能居宅介護として国が制度化)を長住地域に誘致したばかりでなく、それを専門職と地域住民が一緒になって(フォーマルとインフォーマルの融合)地域を基盤にコミュニティケアを実践した。

    2)「生活の継続」は、認知症高齢者グループホームの制度化当時、厚労省も強調したことであるが、「つくる会」の活動過程で実践した「ケアの連続」は、介護サービス提供前から始めて地域での看取りに至るまで、途切れることなく継続した。

    3)超高齢社会にどこで死を迎えるかは大きな課題であるが、終末期を家族とともに地域で支え、見送る(地域葬)ことも実践した。

    4)「ふれあい会」の活動は、介護保険制度を活用して営利を目的に事業展開する福祉サービス事業所には受け入れ難い(各事業所がそれぞれの特性と限界を認め合いながら、一人ひとりの要介護者のニーズに応じて、近隣の競争相手である事業所とサービス調整する)が、それをコーディネートするのが地域住民(NPO笑顔)であった故に実現できた。

    5)3つのチエン:「血縁」「地縁」「知縁」
     介護が社会化されてもなくてはならない、むしろ今は再度取り戻したい家族介護力の「血縁」、コミュニティの希薄化により孤独を感じる現代人が、困った時は「頼むね」の一言が言える「地縁」、価値観を同じくする人が、ミッションを掲げて組織するNPOは「知縁」をもとに活動し、社会課題を解決する地域社会づくりの担い手となる。
     長住地域においては、この3つのチエンが重なり合って、まちの物語を綴ってきた。あるときは薄れていると思っていた地縁が捨てたものではないと気づき、またふとしたことから他人に呼び覚まされる血縁に胸が熱くなり、そして世の中の動きに振り回されそうになるときに知縁が支えてくれる。

    論文

    1. (修士論文)低層集合住宅地計画(タウンハウス計画)の研究
    2. (Master thesis)A Comparative Analysis of Medium Density Housing in the U.S. and Japan
    3. (博士論文)住民参画による高齢者生活福祉の「場所」づくりのプロセスデザインに 関する研究 2002年

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